2020年3月16日月曜日

唐突に学部4年間を振り返る



 あまりにも唐突に始まりました、学部4年間の振り返りです。おそらく地球上でこの記事を 黒歴史認定して消し去ろうとする 熱心に読むのは未来の私一人なのですが、まあやっていきましょう。



0.高校時代

 高校時代はLEGO(特にTechnic)が大好きで、WROに友人とともに出てました。最初は機械系を志望していたのですが、途中で電気電子系の学科に変更しました。
 アキバでRaspberry Pi Model Bが発売された当時、Make:とかを読んでいた当時の中の人は、"回路系も面白そうだな"という単純な思考で変更していた気がします。

暇なときに作ったロボットアーム。プログラムを書いてくれた友人には圧倒的感謝。

 Raspberry Piとの出会いは結構衝撃的で、まともにPC(?)でプログラミングしたのはこれが最初でした。なんだかんだ縁あって、最初のラズパイコンテストで学生賞になりました。

当時作成した動画。スマホでいいじゃんとかは言っちゃダメ

 当時は金工木工室をほとんど貸し切りで使っており、動画中のアクリルケースはここで加工しました。モノづくりの環境としては木の切りくずに悩まされた以外、非常に良いものでした。

 大学進学に当たり、もともとは国立の大学を狙っていたのですが、おもに本人の実力不足と努力不足により、滑り止めで受けた東京にある私大に進むことになりました。
 DNNを組込み分野に応用したいって話を考え始めたのが高校を卒業したあたりで、今考えれば、今の研究をやり始める遠因だったかもしれません。

当時の投稿はこの辺:https://www.shtsno24.tokyo/2014/10/

1年生

 期待に胸膨らませ入学式に来たわけですが、式の第一部が終わるころには北の大地に島流しされました。寮生活ではクラスターのメンバーに恵まれ、さらにうまいこと機材とかを持ち込めたので、趣味の開発を続けることができました。ラズパイコンテスト用のHW作成は5-6月ごろからはじめていました。

 このころは、授業の成績が 控えめに言ってクソ 目を覆うほどひどいもので、力学でC、実験でBが付いていました。2Qの試験が終わり、実家に帰省するときには気分がどんよりしていたことを覚えています。
 実家に帰省した後は、ラズパイコンテストのSW開発をずっとしていました。当時は20年物のクーラーを動かす勇気がなく、27℃の部屋でGPU付きのノートを全開にしてサウナ状態でAIのトレーニングをしていました(2016年当時Donkey Carなんて知らず、SWもほとんど自前で作成していました)。

2度目の学生賞。動画作るの難しい。


 苦労した甲斐あって学生賞をいただきました(2度目)。授賞式的なものには授業の関係で参加できず、そこが心残りでした。

 3Q開始後は授業終了後から22:00まで図書館に残って勉強・レポート作成をするような生活で、土日も図書館にこもっていました。大学に入って最初につらかったのがこの時期でした。しかも成績は少ししか上がらず、絶望感に襲われていた記憶があります。

 いまのバイト先に拾われたのが、4Q終わってこちらに帰ってきた直後でした。高校時代にWROに出ていた友人の紹介で入りました。ロボット教室だったのですが、個人経営の小さいところだったので、入って1か月たたずして教材開発に参加するなど、相当ハードでした。

当時の投稿はこの辺:https://www.shtsno24.tokyo/2016/09/

2・3年生

 北の大地での刑期も終わり、東京でのキャンパスライフスタートです。ですが期待に胸膨らませることはあまりなかった気がします。それもそのはずで、実家から片道2h以上かかるため、1限の授業に出るためには6:00前に家を出るのが確定していたからです。別に電車通学にはさほど抵抗感はありませんでしたが、この通学時間(帯)は健康面で相当なハンディになりました(今もだけど)。

 とはいえ、授業にはほとんど出席し成績も少しは良くなったので、精神的には少し良くなった...と言いいたいところですが、絶望感から焦りに変わっただけでした。所属しているどのコミュニティ(大学・サークル・バイト)にも、私よりできる人が多かったので、取り残されまいと必死こいてその場でじたばたしてました。(結局何も進まない)

 このころ、毎週出される実験レポートが結構な重荷になっていました。2年次は手書き、3年次がPCだったのですが、要領よくやることが相当苦手だったので、毎日図書館にこもり、どのレポートも期限ぎりぎりまで作成していました。

初代Camellia。モータが両面テープで止まってる。

 サークルではマウスを2年がかりで作り、公式大会での完走にこぎつけました。この時期趣味は通学時間以外でのプログラミング以外ほとんどやっていなかった気がします。

 キャンパスの近くで一人暮らしをするためのお金が欲しかったので給付型の奨学金に応募しましたが、学内選考でことごとく落とされました。(親が無職になりかけ、金銭的な不安が増してきたのもこのころ)

とあるインターンに行って、無能感に打ちひしがれたこともあったっけ?

4年生

研究室配属ガチャに当選し、第一希望の研究室に入ることができました。研究テーマは組込み向けFPGAにCNNのアクセラレータを載せて高速化するものを考えており、9月ぐらいの進捗報告会で初めて研究室向けに話してOKをもらいました。
 10月から本格的な開発が始まり、HLSツールのバグに悩まされながらも12月末には開発が終了、1月末の発表までには論文もほぼ仕上げられました。このころには13:00ラボ着->23:00ラボ発->25:30自宅着の健康を害する以外何もないルーティンが出来上がっていました。

 バイトの方は2月からのコース再編の関係で、ほぼゼロからコースの立ち上げを行いました。数人のチームを組み、その中のリーダー的な役回りをしていました。このころに他人にタスクを振ることを覚え始めました。(その流れで、3月の対応や5月以降のコース再再編のPMをやる羽目に)

 サークルにはほとんど顔を出していないので、非常に申し訳なく思っていますが、肝心のマウス(もどき)の進捗は虚無なので、これからもガラクタ作ってる影の薄いおじさんになりそうです。

 趣味の方は、いわゆる勉強会的なものに顔を出すようになりました。誰からの紹介もなく一人で行ったのですが、大きい勉強会になればなるほどいろいろなバックグラウンドの方がいるので結構刺激的です(自分の知らない分野の情報が入ってくるのが一番大きい)。

 

4年間で得たこと

  • 体重
  • 焦り
  • 処分に困るガラクタ、ごみ屋敷と化した自分の部屋
  • 両親からの心配
  • 将来の心配
  • 学位
  • 大学院進学


4年間で失ったもの

  • 健康
  • やる気
  • 記憶力
  • アイデア
  • 自尊心
  • 精神の安定感(小中の頃に失ってたかも)
  • 両親からの信頼
  • 将来への希望

4年間で学んだこと

  • 全力で取り組んでも、ほとんど上手くいかない。ごく稀に上手くいく。
  • カネは余裕。あったらあった分だけよい。
  • 長距離通学は、健康で金を買っている。
  • 予備を買うと予備がいらなくなる。
  • 進捗には実軸と虚軸があり、虚軸上で単振動していることがわかると非常に虚しい。
  • 大体のコミュニティには自分の上位互換がいる。
  • 要領の悪さは一生もの。
  • みんなすごい! 自分?無能。

まとめ

 4年間で精神と健康、金を使って、学位を錬成しました。両親や関係者の皆様には頭が上がりません。これから先も無能らしく皆様に媚びて生きるので、何卒よろしくお願いします。



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